第48回大会 全体会の詳細

全体会・大会テーマ「朝鮮現代史と在日朝鮮人」のねらい

近年、在日朝鮮人社会の変容を受け、 在日朝鮮人をめぐる問題意識や研究対象は急速に多様化しつつある。 在日朝鮮人の存在をより積極的に日本社会の中のマイノリティの一つとしてとらえる傾向が出てきたことなどは、その一例として挙げられよう。しかし一方で、高校無償化からの朝鮮学校の排除問題などに見られるように、在日朝鮮人に対する排外主義的な認識と暴力が、日本社会の中で再び顕在化してきていることも事実である。

このような状況をふまえ、本年度の朝鮮史研究会は、「朝鮮現代史と在日朝鮮人」をテーマとしてとりあげることとした。これまでの大会においても、在日朝鮮人史を主題とする報告・講演が個別に何度か行われたものの、在日朝鮮人史を大会テーマとして正面から取り上げるのは初めての試みである。

 テーマ設定のポイントは、在日朝鮮人史を朝鮮半島とのつながりに焦点をあてるところにある。冒頭に述べた在日朝鮮人をめぐる現状が、在日朝鮮人の存在をつくりだした歴史的起源としての日本帝国主義の問題や、今も続く在日朝鮮人差別につらなる植民地主義の存続問題に対する関心の希薄化と無関係ではないと考えるとき、歴史研究は、これらの問題を追究する方向をめざすべきであろう。これまで在日朝鮮人史研究は、日本との関わりを中心に問題設定されてきた。しかし、日本との関わりから在日朝鮮人史を考える視角のみでは、先の問題を追及する上で、限界があるのではないか。朝鮮半島とのつながり、とくに朝鮮現代史の展開の中に在日朝鮮人史を位置づけてこそ、問題の所在が明確化してくるのではないだろうか。

 また近年の朝鮮半島における研究では、中国、米国、ロシアなど「在外朝鮮人」に対する関心の高まりや、「コリアン・ディアスポラ」として地球規模の人口移動と分散居住の現象を他民族・他地域との比較で捉えようとする試みの活発化がみられる。このような状況をふまえ 、朝鮮現代史の展開を広く東アジア現代史の射程の中で位置づける視点にも注目したい。日本帝国主義や植民地主義存続の問題は、このような枠組みによって、より実態に即した形で把握することができると考えるからである。

 このようなねらいから、本大会では、マシュー・オーガスティン氏、 祐宗 氏、李泳采氏の三方にご報告いただくこととした。オーガスティン氏は、朝鮮半島と日本の間における朝鮮人の往来について、 鄭祐宗 氏は、山口県における対在日朝鮮人政策について、李泳采氏は帰国運動の展開過程について、それぞれ焦点をあてながら、テーマを深めていただく予定である。

個別報告のねらい

戦後占領期日朝間における人流と国境管理

マシュー・オーガスティン

  一九四五年八月は、長年続いたアジア太平洋戦争の終結であると同時に、戦勝した連合国軍が大日本帝国を分割し、占領する起点でもあった。帝国本国とその植民地が新たな国家として再建されるということは、実質的には米軍が日本列島と朝鮮半島の南半分において統制管理体制を樹立することを意味した。帝国の分割と国家の建立過程の中で、二つの地域で米軍占領が重要な課題の一つとしたのは、それぞれの地域で国境線を新たに引き直し、管理統制することであった。

  本報告の課題は日本と朝鮮をはさんで往来していた人流を考察して、それが戦後占領期を通して変動しつつあった出入国管理制度とどのような関係にあったのかについて分析することである。ここでいう人流とは、占領下の日本を離れ、米軍統治下の南朝鮮に帰還して行く朝鮮人の動きと、その間日本に入国(密入国)して来た朝鮮人の移動を意味し、両者を関連づけている。こうした朝鮮人の渡航が国境管理体制の主たる標的となったことを解明するため、本報告は二つのテーマに焦点を当てる…(1)ポスト帝国時代における引揚・帰還と脱植民地化の関連、(2)冷戦時代における不法入国の取締りを目的とした国境の固定化がもたらした在日朝鮮人の孤立。最近まで見落とされがちであった米軍による南朝鮮の軍政期と日本の占領期を織り合わせた国際史こそ、帝国終焉から冷戦初期にかけて、東アジアの国際秩序がどのように築かれていったのか、という問題を最も有効に示してくれると考えられる。その意味でも国境とその管理が果たす役割を探求する必要がある。

  日本占領期における朝鮮人の移動に関する先行研究は、従来の出入国管理体制や国籍問題を扱った研究の蓄積を取り込みながら、現在活発に進展している。本報告では、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の資料だけではなく、これまで十分に検討されてこなかった在朝鮮米陸軍(USAFIK)の資料を使って、一九四五年から五二年頃までにおける朝鮮人の移動について考察する。特に後者の資料は、解放後朝鮮におけるアメリカの軍政期研究には欠かせない一次資料だが、金太基氏の『戦後日本政治と在日朝鮮人問題』以外には、日本占領期における在日朝鮮人の研究にはまだあまり利用されていない。これらの重要な資料群を重ねてみると、朝鮮現代史における在日朝鮮人の歴史を多様な視点で、新たに見直すことが可能になるだろう。

朝鮮現代史と山口県―解放後在日朝鮮人運動抑圧の性格分析

鄭 祐 宗

 本報告は、朝鮮現代史の立場より、敗戦後日本による在日朝鮮人運動抑圧の側面たる当該山口県の政治史に着目し、朝鮮統一の阻害要因としての日本の位置と構造を明らかにすることを課題とする。なぜ朝鮮現代史と山口県か。本報告は、次の二点を指摘する。

 日本による朝鮮分断への介入問題。本報告は、朝鮮現代史における済州島四・三事件、麗水・順天事件の同時代史として、下関八・二〇事件を位置づけるが、前者との決定的な違いとして、本報告では事件の抑圧の責任主体たる日本の位置を取り上げる。特に、第二次大戦後、朝鮮の解放と独立が敗戦後日本による介入によって分断される構造の特質を明らかにする。

 植民地支配との結びつきの問題。日本の朝鮮支配の司令官を輩出し、中下級官吏を中心に、植民地支配を下支えした地域たる山口県の特質に着目する。従来の研究では、占領軍文書を利用した研究が進展したが、本報告では、朝鮮総督府官吏をはじめとする植民地出身官吏の敗戦後の国内任用という連関性について、当該山口県の性格をとらえ、かかる植民地出身官吏の国内任用と在日朝鮮人対策との結びつきの構造を明らかにする。

 本報告では、以上の検討結果を土台に、解放後在日朝鮮人運動抑圧の性格分析として、朝鮮分断・介入と植民地主義の両者の結びつきの特質を明らかにし、課題に答える。では両者の結びつきの特質とは何か。本報告を通じ、植民地出身権力を基盤とする県の在日朝鮮人対策が連合国軍の路線を超える分断・介入の路線へと向かうことを指摘し、在日朝鮮人運動抑圧の側面たるを明らかにする。ゆえに敗戦後日本による在日朝鮮人運動抑圧は、分断・介入に規定される戦争状態を否定するためにこそ、植民地主義を必要とせざるを得なかった。本報告では、敗戦後日本が朝鮮分断・介入と植民地主義の結びつきを一体化させるゆえに、(連合国軍以上に)朝鮮の統一に敵対せざるを得ず、両者の結びつきが一体化し得ない自己矛盾ゆえに、在日朝鮮人の存在そのものの抹消へと向かったと考える。したがって日本による在日朝鮮人の大規模な送還構想は、両者の結びつきが一体化し得ない自己矛盾ゆえに登場することになる。

 政治的民族運動としての帰国運動 ―在日朝鮮人帰国運動の展開過程を中心に

 李 泳 采

 五〇年代半ば〜六〇年代初期に展開された在日朝鮮人集団帰国運動は、北朝鮮が戦後はじめて日本との関係改善を求めた過程で生まれた。この時期、北朝鮮は朝日友好運動を通じて民間レベルの交流と経済交易の拡大を目指し、長期的には日朝国交正常化の実現を目指していた。在日朝鮮人帰国運動の開始は、その目的のための切り口として考えられていた。しかし、朝鮮総連の組織を通じて、在日朝鮮人社会と北朝鮮との一元化を推進していく過程で、在日朝鮮人帰国運動は、金日成体制の正統性を証明するための政治的民族運動に変貌し、純粋な人道的帰国運動としての意味が薄れていった。

 日朝及び日韓国交関係がない状態で、日本政府も戦後処理と人権問題の一環として在日朝鮮人帰国問題に取り組んだ。しかし、日本国内における生活保護費の増大、在日朝鮮人の左派的な政治意識、そして日米安保条約の改正などの国内状況から、日本政府も純粋な人道措置としての帰国実現より、厄介なものの「追い出し」のような政治的な目的があったとも見られる。

 一方、在日朝鮮人帰国問題は、日本と朝鮮半島の間に一切の外交関係がない時代に、日韓及び日朝関係の連携構造を作るきっかけにもなっていた。日本は五五年に在北朝鮮日本人引き揚げを実現してから、北朝鮮との深いパイプを持って在日朝鮮人帰国運動を推進していった。また、日韓関係においては、在日朝鮮人帰国の推進により、日韓の対立と葛藤を生み、日韓会談と日朝会談が連動する構造も生まれていた。特に、日韓・日朝間における懸案の三つの課題―大村収容所の政治犯問題、釜山抑留日本人漁師の問題、日韓会談の再開の問題―の解決過程で、日本は、日朝間の優先課題と日韓間の優先課題を区別処理したことで、両方の関係設定における「学習効果」を生んでいたと思われる。

 五〇年代後半に実現された在日朝鮮人の帰国運動は、冷戦構造の中で移動の自由がなかった人々に制限された情報、強要された選択の結果でもあった。反共・反日政策をとり、在日同胞の受け入れを拒否して、在日朝鮮人の脱出口を封鎖した韓国政府の「棄民」政策、国内の厄介者を追い出そうとした日本政府の「排除」、そしてこの「棄民」と「排除」を政治的に利用した北朝鮮の「海外動員運動」の結果、不可能とも見られた在日朝鮮人の集団帰国が実現され、二五年間、約一〇万名の「民族大移動」が行われたのである。従って、この問題は、いつか外交的なプロセスを通じて国際的な協議の枠のなかで議論されるべきである。

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