第55回大会 全体会の詳細

合評会のねらい

 第五五回を迎える今年度の朝鮮史研究会全国大会は、統一テーマとして「歴史教育の転換と朝鮮史研究」を掲げる。朝鮮史を取り巻く環境に大きな変化が見られる。日韓両国の交流が大きく進展する一方で、多くの「嫌韓本」が出され、インターネット上では朝鮮半島や東アジアの歴史に関して、極めて不正確な情報が日々発信されている。問題はこうした現象が、日本社会に強く影響を及ぼしている点にある。朝鮮史研究に関わる者として、こうした現状は決して看過できるものではない。現在の研究水準を迅速かつ綿密に反映させ、信頼に足る学術的な朝鮮史の情報を広く社会に提供することが、私たちに求められる使命と考える。

 ところで朝鮮史研究会は、研究入門書として二〇一三年に『朝鮮史研究入門』を刊行したものの、一般向け通史としては一九九五年に『朝鮮史』を刊行して以来、改訂を行ってこなかった。長い間、その後の研究動向を踏まえた新たな通史の改訂・編纂を行わなかったことは、怠慢の誹りは免れないであろう。そうしたなかで昨年、『世界歴史大系 朝鮮史』(全二巻)が山川出版社より出版された。今般刊行された『世界歴史大系 朝鮮史』は、最新、かつ詳細な通史であり、朝鮮史研究会がこれからどのような通史叙述を目指すかについて考えるうえでも、一つの指針を示すものとなる。 そこで本研究会としては、今年度の全国大会で「合評会」を行い、新たに世に問われた『世界歴史大系 朝鮮史』を総合的に検討したい。各時代の専門家に、担当する章節を中心に本書の特色(分量の適切さ、研究成果・新出史料の活用、コラム、ルビなど)や、従来の他の通史との比較を通じて広くご論評いただくとともに、本研究会が今後どのような発信をすべきかについて、あわせてご提言を請う次第である。また「合評会」では「総合討論」の場も設け、フロアの大会参加者によるご意見も踏まえ、今後の本会の情報発信についても議論を深めたいと考えている。

 折しも今大会の全体会では、実際に教育現場で歴史教育に携わる先生方より朝鮮史のあり方や実状について「現場からの声」を伝えて頂く。中等教育課程で扱われる朝鮮史は、研究者の想定する以上に、多くの制約と条件が課せられているのが実情である。かかる状況では、朝鮮史の全体像を提示する通史の果たす役割がより一層重要となる。それゆえ、『世界歴史大系 朝鮮史』を通じて、通史叙述の在り方について検討することは、今後の朝鮮史研究および教育全体の発展にも大いに資するものであると考える。

全体会・統一テーマ「歴史教育の転換と朝鮮史研究」のねらい

 今日、メディア環境の変化に伴い、不正確な情報が無制限に拡散し、研究成果を反映しない歴史認識が拡散されつつある。このようないわゆる歴史認識問題は、これまで歴史教育・教科書問題としても顕在化してきたが、朝鮮史研究会も歴史教科書の分析や大会講演・例会発表の場を通して、歴史教育と朝鮮史をめぐる課題に取り組んできた。

 一九七六年に刊行された『朝鮮の歴史をどう教えるか』(朝鮮史研究会・旗田巍編)は、教育と研究の領域をそれぞれ接合しようとする画期的な試みでもあった。旗田巍は同書の序文で、「朝鮮史研究と朝鮮史教育とのつながりは教科書批判でつきるのではない。もっと大事なことは、教育現場で提起された問題を真剣にうけとめ、それを研究の内面に生かし、それに答えることであると思う」(四頁)と述べる。ヘイト・スピーチの土台ともなる歴史修正主義の歴史観が垂れ流しになっている現状を考えれば、このことはいまなお重要な提起である。研究の進展も著しい現在において、いま一度胸に刻み込んでおきたい提起でもあろう。

 今回、歴史教育を主題とする重要な背景には、まさにいま歴史教育のあり方が大きく変わろうとしている時期だということがある。すでに知られているとおり、二〇二二年度以降、高等学校の歴史科は従来の日本史・世界史という区分から、必修科目の「歴史総合」と選択科目の「日本史探究」・「世界史探究」という二段階構造となる。二〇一八年二月に公示された高等学校学習指導要領案によると、テーマ型を採用し、生徒の主体的学習を促すものへと変化することが意図されている。このような制度的転換により、前近代史と近現代史の学習の比重が変化することが予想されるだけでなく、教科書の歴史叙述、さらには教育方法にも大きな変化が生じることになろうことは想像に難くない。朝鮮史研究者はこのような状況をどのように受け止めたらよいのだろうか。

 先に挙げた『朝鮮の歴史をどう教えるか』は、(一)日本の朝鮮史認識の現状と、世界史認識と朝鮮史の関係について触れたあと、(二)教科書のなかの朝鮮像を整理し、(三)個別のテーマに関する教育実践の報告が掲載される。そして、それに止まらず、(四)朝鮮史研究の成果を教育実践にどう生かすかという問題意識から、前近代と近現代に分けて、それぞれの時期について概説と資料紹介を行っている。(四)は一九七四年に刊行された朝鮮史研究会編『朝鮮の歴史』(三省堂)にたいする教育現場からの批判・要望を受け、教育実践に資するようにと組みこまれたものであるという。ここに朝鮮史教育と研究との接合がみてとれよう。本大会を開催するにあたって、学ぶところが多い。

 本大会では、このような過去の取り組みに学び、朝鮮史にかかわる教科書叙述や教育実践の現状をまず確認し、制度的転換を見据え、その転換がもたらしうる影響はどのようなものであり、またそれにどのように対応すべきかについていま一度検討してみたい。

 今回、三人の現職の高校教員の方々をパネリストとして迎え、さまざまな教育実践の経験や教育現場の諸課題、教育制度改編への展望などに対する認識を通して、朝鮮史研究は学校教育の現場の側から、いかなるものを生み出すことを要求されているのか、言い換えれば、研究は教育の場にいかなる貢献が可能なのか、について提言・指摘をしていただくことを意図している。朝鮮史研究会としては、その提言・指摘を受け止め、新たな朝鮮史研究・教育の可能性について考えながら、研究会の果たす役割について確認してみたい。活発な議論を期待する。

個別報告のねらい

高校における朝鮮史教育の展望(前近代を中心に)

中野高行

 二〇二二年より年次進行で高校に導入される新指導要領では、「歴史総合」「世界史探究」「日本史探究」が新設される。これらの科目の内実と問題点を整理するとともに、アクティブ・ラーニングやICT導入など高校教育の授業法の現況についても言及しながら、高校の歴史教育における朝鮮史の現状について概観し、主に前近代史教育の展望について報告する。

 新学習指導要領における歴史系科目としては、二単位の必修科目である「歴史総合」と三単位の選択科目である「世界史探究」「日本史探究」が新たに設置される。前近代の朝鮮史は後二者に含まれると思われるが、「取り上げられるテーマは何になるのか?」「生徒の履修状況はどのようになるのか?」などについて考察する。前近代の朝鮮史教育は従来の傾向を引き継ぎ、飛び飛びのスポット的トピックを取り上げる<湖沼>的傾向となる可能性が高いことを指摘する。朝鮮史全体を把握している者にとっては理解できるだろうが、初学者である生徒たちにとっては、地下水脈でつながっている背景が分かりづらく理解しにくいと思われる。

 近年の学校教育では、アクティブ・ラーニングとICTの導入が二大潮流となっている。アクティブ・ラーニングはディベート・プレゼン・グループワークなど、生徒の主体的で対話的な学習方法である。ICTは電子黒板・プロジェクター・大型デジタルテレビ・デジタルカメラ・パソコン・タブレットなどを用いてデジタル教材を活用する授業形態である。

 これらが日本の高校歴史教育にどのような変化をもたらすのかを展望すると、成績上位層はアクティブ・ラーニングへの精密な対応をする一方、成績中・下位層は従来型の知識注入教育が継続される可能性が高いと思われる。具体的な展開としては以下の二つが予想される。@アクティブ・ラーニングへの対応を学校が担当し表面的な議論が行われるのに対し、知識注入教育への対応を予備校・塾が担当するパターンか、Aアクティブ・ラーニングへの対応を大手予備校が担当しメソッドの伝授が行われるのに対し、知識注入教育への対応を学校が担当し、ICT機器を利用したドリルの徹底による定型的な知識の扶植が進むパターン、のいずれかが想定される。想定@・Aのいずれでも、《知識の定型化・固定化》が強化され、教育の二極分解化が進むものと考えられる。

学びの転換と朝鮮史―高校日本史・世界史と〈倭寇〉〈両班(士族)〉研究を結んで

中田 稔

 『朝鮮の歴史をどう教えるか』(一九七六)から四〇余年。学校教育の現場はいま、生徒の「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)への転換を強く促されている。先般公になった高等学校の次期学習指導要領(二〇二二年度施行)は、歴史教育にとって、かつての世界史必修化(一九八九年度)以上の変革とされる。改定の趣旨が授業方法の転換に特化され、大学入試を含む高大接続改革とも併せた実施をめざすからである。報告者は歴史的思考力の涵養というベクトルに賛同するものの、改革への性急な動きには疑問を抱いている。しかし現場の教員としては、その実施に向けた準備をすすめなければならない。

 本報告の主な内容は、「主体的・対話的で深い学び」に向けた議論をふまえ、「朝鮮史と日本史・世界史をどうつなぐか」について、私的研究の視座から検討することである。まず、歴史学の危機とすらいわれる現在の状況における歴史研究と歴史教育の意味を確認し、歴史的思考力を育むため、次期学習指導要領がうたう「主体的・対話的で深い学び」を実践する上での焦点を確かめる。次に、報告者の私的研究と高等学校日本史・世界史の結節点である、高麗・朝鮮時代のキーワード〈倭寇〉〈両班〉の、現状の高等学校日本史B・世界史Bおよび次期学習指導要領の新科目「日本史探究」「世界史探究」における取扱を確認しながら、中近世の朝鮮史・日朝関係史と〈両班〉〈倭寇〉研究をかえりみたい。

 高等学校の日本史・世界史の授業のなかで朝鮮史を通史で扱うことは、すでに現行学習指導要領においても困難な状況出来上がっている。すなわち、授業の中で朝鮮史が説得力ある役割を果たすことができても、通史としての朝鮮史をどう普及させるかという課題が解決できない。さらに、次期学習指導要領における「日本史探究」「世界史探究」は標準三単位(一週あたり五〇分授業を三回)で、一単位の減単(現行「日本史B」「世界史B」は標準四単位)となっている。学びを生徒主体に転換するには多大な授業時間を要することと併せて考えれば、両科目とも、内容面ではそれ自体の通史としての系統性を担保できるか疑問である。ましてや、朝鮮史のような地域史に関しては、中等教育だけではますます不十分となることは容易に想像できる。本報告が、高等教育までも視野に入れた、地域史としての朝鮮史研究とその教育について考える契機となれば幸いである。

 近代の日朝関係を教える課題について

 関原正裕

 報告は、朝鮮認識に関わって子どもたちと学校がおかれている状況を次のようにとらえている。今の子どもたちは朝鮮に対する植民地支配の具体的事実を知らされていないし、最もその実態を教えなければならない学校では侵略や加害の問題を避けてしまうような委縮状況があることも無視できない。新しい学習指導要領の新科目「歴史総合」は、そもそも通史的に近代日本を理解しようとするものではない。また、近代日本のポジティブな面に繋がるテーマを設定し、その歴史を「成功」事例として肯定的に評価し「我が国の歴史に対する愛情」を育成しようとするものである。結局、明治礼賛の政府の「明治一五〇年」史観と変るところがない。こうした子どもと学校のとらえ方についてご議論いただきたい。

 このような状況の下で、高校日本史で近代の日朝関係を教える課題について、山川出版の教科書『詳説日本史B』の記述を検討しながら歴史教育者協議会の教員の実践もふまえて検討したい。具体的には、江華島事件・東学農民戦争・日露戦争・義兵闘争・韓国併合・三・一独立運動・関東大震災時の朝鮮人虐殺・戦後の南北分断などを素材としたい。

 論点として、第一には、そもそも高校日本史での朝鮮史学習の課題とは何なのか、第二には東学農民軍第二次蜂起に対する虐殺に見られるように、明治日本の武力による朝鮮民衆に対する暴虐をどう教えるか、第三には、併合後の総督府の政策について植民地近代化論を乗り越えるにはどう教えるか、第四には、三・一独立運動の背景を民族自決の国際世論からしか見ないような他律史観をどう克服するか、第五には、関東大震災時の朝鮮人虐殺の国家責任をどう教えるか、また日本人の「不逞鮮人」認識をどう教えるか、第六には、戦後の南北分断と植民地支配との関係についてどう教えるか、など論点は多岐にわたると考えられる。

 以上のような論点のすべてについて一定の結論を提起することはとうていできることではないので、議論の材料を提示することでご容赦願いたい。

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