第60回大会 パネルの詳細

パネル1 京城帝国大学研究の領域横断的新展開

 『帝国日本と植民地大学』(二〇一四年)を代表的なものとして、旧植⺠地の高等教育をめぐり、すでにさまざまな方向からのアプローチ方法と議論の深化がみられる「京城帝国大学」研究に、本パネルは新たな展望を提示しようとするものである。すなわち、これまでの研究成果の現況を通観した上で、「内外地」の帝国大学のみならず、あるいは南方軍政施行地の教育行政にまで拡がる学知の周辺、そして戦後へのつながりまでを視野に入れながら、京城帝大研究の新たな地平を展望するものである。以下、それぞれの報告の趣旨について簡略に示しておく。
 通堂は引揚後にも維持される京城帝大時代の人的ネットワークを、「新制」大学が創設される過程から確認する。新里は朝鮮の独逸語教育史における京城帝大の位置付けを検討する。許は京城帝大の「哲学・哲学史」講座について、学生という側面から検討する。永島は「附置研究所」の設置をめぐる帝国大学の戦時対応を考察する。

報告者・タイトル

通堂あゆみ「新制武蔵大学の創設と京城帝国大学」
新里瑠璃子「京城帝国大学と朝鮮の独逸語教育史」
許 智香「京城帝国大学〈哲学・哲学史〉講座の学生たち」
永島広紀「〈戦時の帝大〉と〈帝大の戦時〉」

会場 A1棟112教室

パネル2 「朝鮮人村落」苗代川(現鹿児島県美山)に関する歴史叙述の再検討

 苗代川は壬辰戦争によって「連行」された朝鮮人が政策的に集住させられた村落であり、江戸時代を通して薩摩藩の特別の保護と厳しい統制の下に置かれた。「苗代川者」という周縁的身分に固定され、陶磁器生産を義務化された苗代川住民の生活に対しては、第一次史料の不足のため、不明な部分が多いだけでなく、薩摩の地誌学者や旅行者という外部の観察を基に一定のイメージが形成され、拡散された。朝鮮の歴史や文化に対する没理解と住民自身の生活安定と矜恃のための「物語」は、近代に入ると「日鮮」融和の象徴として、現在では「村興し」の素材として再生されている。それは苗代川を対象とする日韓の研究においても同様で、異郷に生きる彼らが朝鮮の伝統的生活文化を維持し、「檀君」信仰を支えに四百年を過ごしたというイメージを土台とする叙述が多かった。
 最近ようやく日本の諸史料の相互突き合わせや朝鮮史の側からの視点によって、新しい研究が始まった。すなわち苗代川の作られたイメージの根元である歴史叙述を根本から検討しようとする論議である。
 本パネルでは、そのような最新の研究動向を踏まえて、現地調査によって得られた知見やあらたに発見された史料・遺跡・遺物の分析を通して、玉山神社祭神「檀君」、薩摩焼の陶祖、薩摩藩の朝鮮人政策の実態を対象とする苗代川研究の最前線を提示する。

報告者、タイトル

深港恭子「薩摩藩による苗代川政策の実態について」
井上和枝「苗代川玉山神社の祭神檀君に対する再考察―文献・祭祀方法・遺物からの接近」
木村 拓「薩摩焼の「陶祖」言説―「薩摩陶器創祖朴平意記念碑」をめぐって」

会場 A1棟113教室

パネル3 冷戦下の在日朝鮮人問題に対する多様な取り組み-民族差別と祖国分断を乗り越えて

 在日朝鮮人は、日本の植民地支配の生き証人といわれるが、朝鮮半島の南北分断の影響を受けた存在でもある。つまり、戦後も継続する植民地主義による朝鮮人差別との闘いとともに、祖国統一という「二重の課題」を抱えている存在である。冷戦下の在日朝鮮人の運動と思想に関しては、在日朝鮮人が朝鮮半島の分断を生きる姿に関心を寄せるより、 日本社会における在日朝鮮人差別を是正するための一連の運動に焦点を合わせた形で議論されてきた 。朝鮮半島の南北の対立が在日朝鮮人社会に甚大な影響を与えたことを想起すると、分断の不条理を克服するための行為についてもより議論を深めるべきだろう。本パネルでは、在日朝鮮作家の文学作品からみる韓国民化運動に対する応答、本国との連帯を求めた在日朝鮮人の韓国民主化運動、朝鮮統一を望む在日朝鮮人との連帯を模索した日本人たちに関する察を通して在日朝鮮人が抱えた「二重の課題」に迫りたい。

報告者、タイトル

韓昇熹「在日朝鮮人の権利獲得運動と朝鮮半島統一理念の交錯」
趙基銀「境界」を超える連帯-韓国民主化運動における「連帯」の意味
岡崎 享子「金時鐘『光州詩片』(1983)からみる韓国民主化運動への共振」

会場 A1棟204教室

パネル4 朝鮮研究アーカイブ化の可能性と課題:アカデミアと現場を結ぶ

 朝鮮史研究会の今大会の会場である滋賀県立大学では、在日朝鮮人研究者として朝鮮近現代史研究に大きな足跡を残した朴慶植と姜在彦の旧蔵資料を譲り受け、その整理を進めてきた。
 大阪公立大学人権問題研究センターでは、大阪市立大学当時の二〇二〇年四月に設置された大阪コリアン研究プラットフォームが活動を始めている。日本最大のコリアンコミュニティがある大阪を拠点に、アクティビズムとアカデミズムをつないでいくという目標を掲げて、若手研究者のネットワーキング活動のほか、関係者から史資料の提供を受けて、そのアーカイブ化に取り組んでいる。
 また今年、大阪コリアタウン(旧猪飼野エリア)に大阪コリアタウン歴史資料館が開館し、現在の姿が生まれてきた歴史を学ぶ場づくりを進めている。
 本パネルでは、これらの取り組みを紹介し、その研究利用の可能性などについて議論するとともに、あわせて朴慶植文庫・姜在彦文庫の見学もおこないたい。

報告者、タイトル

伊地知紀子「大阪コリアタウン歴史資料館について」
洪ジョンウン「大阪公立大学の大阪コリアン研究プラットフォームの取り組みとアーカイブ作成について」
河かおる「滋賀県立大学の朴慶植文庫・姜在彦文庫の紹介と見学案内」

会場 A1棟205教室

パネル5 朝鮮後期 漕運の規模と漕軍・致敗

 朝鮮の財政は、納税者⟶ 地方の漕倉⟶ 船運(漕運船、漕軍)⟶ 漢陽の京倉⟶ 需要者という経路からなる漕運制度によって運営されていた。ゆえに、漕運を通してソウルに輸送された税穀の規模と分配過程を明らかにすることは、ソウルの米穀受給方式を理解する重要な端緒であると同時に、穀物移動における漕運制度がもつ意味を解明することにもつながる。次に、漕倉に所属していた漕船に乗って税穀を運搬する義務を付与された漕軍についての研究は、漕運制度研究の深化に一助するものであるが、十八世紀慶尚道「漕軍案」を手がかりに、記載方式、充員原理、漕軍現況等を分析する予定である。最後に、漕運船は運行過程において各種の事故にあうが、朝鮮の歴史上で最大規模とみられる一七六七年(英祖四十三)全羅道霊光郡法聖倉の漕運船沈没事故の概要と、原因究明および事故処理について明らかにしていく。

報告者、タイトル

崔妵姫 「朝鮮後期、ソウルにおける漕運穀の規模と分配」
文光均「十八世紀朝鮮王朝の漕軍案研究-慶尚道を中心に-」
金德珍 「一七六七年、法聖倉漕運船の沈没事故」

会場 A2棟201教室

[ 朝鮮史研究会大会パネルの公募について ]  ※募集は終了しました。