全体会・統一テーマ

「地域からみる在日朝鮮人史」のねらい

 敗戦後の日本における朝鮮史研究は、在日朝鮮人をめぐる問題意識なしに成立しえなかったと言っても過言ではあるまい。在日朝鮮人の法的地位をめぐる問題をはじめ、各処で制度化される民族差別は、日本社会における歴史認識、それを前提とした植民地支配責任に対する深慮不在の証左であり、これに向き合うことは、朝鮮史研究の一つの大きな課題であったためである。
 その後、在日朝鮮人をめぐる問題意識や研究対象も多様化しながら、在日朝鮮人史研究の蓄積は進んだ。様々な分野において、様々な方法を用いて貴重な史実が掘り起こされてきた。二〇一一年に開催された朝鮮史研究会第四十八回大会でも、「朝鮮現代史と在日朝鮮人」をテーマに掲げ、在日朝鮮人史研究に新たな視角を提供し得た経緯がある。しかしそれにもかかわらず、二〇二三年現在の日本社会において、在日朝鮮人に対するあからさまなヘイトはもはや日常化しており、歴史認識、植民地支配責任の問題は目配りすらされない。このような状況において、私たちが朝鮮史研究の課題を見失わないために、関東大震災における朝鮮人虐殺から一〇〇年にあたる本年、大会統一テーマとして、もう一度、在日朝鮮人史に向き合いたい。
 そのうえで今回、特に設定しようとするのは「地域」という視角である。この視角は、「中央」の、「主流」の歴史とは異なる像を示しうるという点で、在日朝鮮人史をより立体的に描くことにつながるのみならず、国家や民族といった概念とは異なる、生活に密接した場を設定するという点で、日本社会における在日朝鮮人史認識をより鮮明に可視化する。地域において在日朝鮮人の営みが欠くことのできない一部分となっているとき、日本の「地域史」はそれを十分認識できているのか、また一方で、そのことは在日朝鮮人史研究の視角として有効なのか。地域資料から明らかにする具体的な事例を通して検討してみたい。そのような問題意識をもとに、本大会では以下の三氏に報告を担当していただく。
 安田昌史氏には、京友禅産業において必須であり、朝鮮人が経営者・労働者として集中する蒸水洗工程で結成された「京都友禅蒸水洗工業協同組合」について分析していただく。
 呉永鎬氏には、鳥取県における朝鮮人の民族教育、なかでも日本の学校に在学する子どもたちが通った午後夜間学校の実態を明らかにしていただく。
 全ウンフィ氏には、京都宇治市ウトロ地区における在日朝鮮人集住地の形成について、大都市郊外という地理学的な観点から論じていただく。
 これらの研究は労働・教育・集住と一見、つながりのない論点のように見えるが、生活に密着する視点を鋭く照射し、植民地支配から現在につながる諸問題に呼応する議論となるだろう。
 また、今回の会場である滋賀県立大学はかつて姜徳相氏が教鞭をとり、朴慶植・姜在彦両氏の資料を所蔵している。在日朝鮮人歴史家の足跡が残る場であり、朝鮮史研究会大会としては近年類をみない、首都圏、京都/大阪以外の会場から在日朝鮮人史を検討する意味も吟味していただければ幸いである。

個別報告のねらい

戦前、京友禅産業における朝鮮人の同業者組合ー京都友禅蒸水洗工業協同組合を事例にー

安田昌史

 本報告では、京友禅産業における朝鮮人の同業者組合を論考する。京友禅産業とは、着物の生地を生産する染色産業の一種である。京友禅産業の最終工程である蒸水洗工程において、朝鮮人が経営者として、また労働者としても集中的に従事してきた。この蒸水洗工程に従事した経営者らによって「京都友禅蒸水洗工業協同組合」(略称、蒸水洗組合)が作られた。この蒸水洗組合を事例に本報告では、一九四五年から一九五〇年代にかけての組合の結成過程や活動、朝鮮人経営者や労働者がどのようにこの組合の運営に関与したのかを論じる。
 これまで京都の在日朝鮮人の社会経済的状況に関して、様々な角度から研究が行われてきた。一九九〇年代に入り、様々な歴史資料や統計をもとに戦前の京都の在日朝鮮人の経済社会的な状況が明らかにされてきた。他方、戦後の在日朝鮮人に関する公的な資料は戦前ほど豊富ではなく、そのため戦後の京都の在日朝鮮人の研究は戦前ほど多くはない。しかし、二〇〇〇年代に入り少数ではあるが実証的な研究が発表され、戦後の京都の在日朝鮮人の状況も注目されるようになってきた。
 また日本の敗戦直後の全国的な動きとして、在日朝鮮人の経済活動条件は不利であると言われた。資材や原料問題を解決すべく、朝鮮人の同業者同士の連絡を緊密にし、有利な条件をつくることが求められた。そのため、日本各地に業種別の朝鮮人の同業者組合が誕生した。だが京都の在日朝鮮人に関する先行研究では、この時期の朝鮮人の同業者組合がどのような組織であり、どのような活動であったのかについて分析されることがなかった。
 そこで本報告では、京都の繊維産業の中でも染色の京友禅産業に着目する。その中でも、蒸水洗工程を担う朝鮮人経営者によって作られた同業者組合の「京都友禅蒸水洗工業協同組合(蒸水洗組合)」を論じる。
 具体的には、蒸水洗組合作成の資料や行政資料、新聞記事、聞き取り調査などをもとに、どのような経過を経てこの組合が結成されたのかを分析する。また、この組織がどのように運営されていたのかを論考する。続いて、この組合は戦後の京友禅産業内でどのような活動を行っていたのかを分析する。特に一九五〇年代に行われたストライキを中心に、どのような目的を立て活動していたのか、そしてどのように決着していったのかを見ていく。
 この蒸水洗組合を論じるにあたり、西陣織産業に存在した朝鮮人の同業者組合と比較しながら考察する。

鳥取県西部在住朝鮮人の民族教育経験ー1950〜60年代における午後夜間学校を中心に

呉永鎬

 本報告は、鳥取県米子市で在日朝鮮人によって取り組まれていた「午後夜間学校」の歴史を、文書資料およびそこで教師として働いていた者ならびに学んでいた者への聞き取り調査をとおして明らかにするものである。ここで取り上げる午後夜間学校とは、一九四九年の全国一斉の朝鮮学校閉鎖措置以降、一般の公立学校等に通うことになった在日朝鮮人児童・生徒たちが、放課後に一時間程度朝鮮語や朝鮮の歴史、音楽等を学ぶことを目的に設置された教育機関を指す。学校閉鎖後、公立学校内に設置された民族学級とは異なり、午後夜間学校は民族団体の事務所内やその近くに建てられたプレハブなどで開かれ、公的補助はなく、在日朝鮮人の自助努力によって運営された。鳥取のほか、北海道、青森、茨城、東京、埼玉、千葉、奈良、和歌山、兵庫、島根、福岡等、全国各地に設置されたものの、先行研究は皆無に等しく、その実態はほとんど明らかになっていない。
 本報告では、占領初期の鳥取県軍政部活動報告書や鳥取県が所蔵する行政文書、民族団体(在日本朝鮮人連盟、在日朝鮮統一民主戦線、在日本朝鮮人総連合会等)の会議文書、山陰の地方新聞、民族団体発行の新聞等を用いながら、鳥取県における在日朝鮮人社会の形成と朝鮮学校の開設および閉鎖の過程を確認したのち、全国的な午後夜間学校の展開と鳥取県における取り組みについて論じる。
 解放後在日朝鮮人の教育史研究は大まかに、朝鮮学校の研究と日本の学校における在日朝鮮人教育とを中心に展開してきた。いずれもが、近代以降の主たる人間形成の場となった学校に焦点を当て、また在日朝鮮人が多住する関東圏や関西圏を対象とする傾向を有している。学校以外の教育機関、また必ずしも集住しているわけではない地域での民族教育経験を明らかにすることで、在日朝鮮人教育史をより立体的に把握することができるだろう。言葉を換えれば、植民地支配から解放された後の日本社会を生きていくうえで、在日朝鮮人の子どもたちがどのような困難に直面していたのか、またそれらを乗り越えたり向き合ったりしていくためにどのような工夫を凝らしていたのか、脱植民地化の諸相をより具体的に描くことが、本報告のねらいである。

戦後〜1960年代前半の宇治市ウトロ地区にみた都市郊外農村における在日朝鮮人の集住過程

全ウンフィ

 本報告のねらいは、宇治市ウトロ地区における在日朝鮮人の集住過程を地理学的視点から検討することである。その過程は、植民地政策における社会的移動とその戦後処理という構造的要因を背景としながら、各地において多層多様に展開する。本報告では、とりわけ京阪神都市圏における郊外化期以前の都市郊外農村という地域性に着目して在日朝鮮人の戦後の定着過程の一端を素描したい。
 在日朝鮮人の集住に関する従来の研究は、都心周辺の住工混合地域とその都市社会・就業的集積との関係に主な関心が置かれ、近年「外国人住民の『集住』現象が顕著でない『非集住地域』」(徳田 二〇一六:一〇)に焦点が当たっている。本報告で取り上げる都市郊外農村は、高度経済成長期後期に都市圏に編入された現在の大都市郊外エリアを指す。そこでの集住は郊外化に伴う日本人の増加により「人口比」としては埋没されていくが(千葉 一九八七)、高野(二〇二〇ほか)から、戦前から戦後に渡る都市化に伴う外縁部への局地的な移動と当時の斜陽産業の分業的立地との関係が窺える。
 ウトロ地区は、戦時期の飛行場新設計画の建設労働者宿舎にその朝鮮人労働者及び親族が住み続けて形成された。拙稿(二〇二一)では住民の土地取得過程を分析し、郊外化期以降の大都市内外からの移入と職住一体の土木建設・廃品回収業の集積による集住の拡大継承を明らかにした。
 当日は、拙稿(前掲)の知見を踏まえた上で、分析が不十分であった戦後から一九六〇年代前半におけるウトロ地区での集住過程を、一九六〇年代半ばまで都市近郊農村であった地域社会の産業構造との関係に注目して検討する。具体的には、ウトロ住民が地域社会と葛藤・共存する兼業農家として、京都市南部ほかの都市的資源に接続しながら民族と業種の重なる空間をつくっていく過程を裁判記録と聞き取り集、地域新聞などを用いて提示したい。
参考文献
全ウンフィ (二〇二一)宇治市A地区にみる高度成長期以降の「不法占拠」の存続要因、都市文化研究、二三、三―一四.
高野昭雄 (二〇二〇)京都市西部地域における都市化の進行と在日朝鮮人、鷹陵史学、四六、四七―六九.
千葉立也 (一九八七)在日朝鮮・韓国人の居住分布.(古賀正則編『第三世界をめぐるセグリゲーションの諸問題』一橋大学)四五―八四.
徳田剛・二階堂裕子・魁生由美子 (二〇一六)『外国人住民の「非集住地域」の地域特性と生活課題』創風社出版.